古井由吉「杳子・妻隠」(河出書房新社)

2016年7月28日

review_ancoこの作品は芥川賞受賞作です。純文学好きには、絶対におすすめです。いや、純文学好きなら、すでに読んでいるかもしれませんけど。当方も好きな作家の1人です。そんなにたくさんの作品は読んでいませんが、同作は再読です。

古井由吉(ふるい よしきち )は、ドイツ文学者でもあり、いわゆる「内向の世代」の代表的作家と言われています。代表作は『杳子』、『聖』『栖』『親』の三部作、『槿』、『仮往生伝試文』、『白髪の唄』など。「精神の深部に分け入る描写に特徴があり、特に既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みている」(ウィキペディアから)と、紹介されています。
ちなみに「内向の世代」は1930年代に生まれ、1965年から1974年にかけて活躍した一連の作家を指します。著名な作家は、古井由吉、後藤明生、日野啓三、黒井千次、小川国夫、坂上弘、高井有一、阿部昭などです。

杳子は深い谷底に一人で坐っていた。

こんな書き出しで始まります。主人公は精神を病む女子大生の杳子です。続いてこんな一文があります。

谷底から見上げる空はすでに雲に低く覆われ、両側に迫る斜面に密生した灌木が、黒く枯れはじめた葉の中から、ところどころ燃え残った紅を、薄暗く閉ざされた谷の空間にむかってぼうっと滲ませていた。河原には岩屑が流れにそって累々と横たわって静まりかえり、重くのしかかる暗さの底に、灰色の明るさを漂わせていた。

何とも魅力的な文章です。ただ、「ん?」とひっかかります。

〈河原には岩屑が流れにそって累々と横たわって静まりかえり、〉です。
“静まりかえり”の主語は“河原”です。河原は静まりかえっていて、岩屑が流れにそって累々と横たわっているわけですね。だからふつうは、「河原は静まりかえり、岩屑が流れにそって累々と横たわって」というような感じで表現します。あるいは、「河原は岩屑が流れにそって累々と横たわって静まりかえり、」なら、すっと読めます。著者は「河原には~」と書きたいのです、きっと。さらに、岩屑も静まりかえっているのでしょう。つまり、「河原には岩屑が静まりかえり、」ということで、主格が岩屑です。
そうなんです。「既成の日本語文脈を破る独自な文体」なのです。
ただ、おそらく、この文章に赤入れをする編集者や校正者もいるのではないでしょうか。新人なら、必ずどこかを修正させられるでしょう。

でも、深く読むと、これは作者の「文体」ということになる。

杳子が河原で大小の不釣り合いな石を積み上げていくシーンの描写も、ふつうではありません。積み上げた石(塔)が不安定で、杳子がぐらぐらと左右に揺れる塔を見つめていて、その塔の表現です。

塔はひと石ひと石、いまのせられたばかりのように動揺に怯えながら、全体として不安に満ちたなまなましい成長の気配を帯びて、空にむかって伸び上がり、さらに音も立てずに伸び上がっていくように見えた。

なんとも、独特の凄い描写です。小石が動揺に怯えているんですね。こんな発想は著者ならではでしょう。ふつうだったら、積み上げた石の高さがどれくらいで、「今にも崩れ落ちそうだった」なんて書いちゃいますけどね。

ただ、これがミステリー小説だったら、「まどろっこしい表現だな、読みづらいな」なんて思われて、しかも、物語が停滞しかねません。「文体」選びはジャンルによって考えないといけないと思いますね。

また、主人公は杳子ですが、恋人は「彼」です。彼との恋愛物語です。彼が杳子の家に電話する時も「Sですが」という表現で、最後まで名前が出て来ません。なぜ「S」なのか? わかりませんねえ。「斉藤ですが」「佐藤ですが」でもいいのに、彼は「S」です。

二人は肉体関係もあります。性的な描写も、ちょっと真似ができない独特の書き方です。

杳子の軀の暗いひろがりの中から、ときどきゆるいうねりに押し上げられて来るように、みぞおちの薄い頼りなげな肌や、細い肋骨(あばら)のふくらみや、腋の下の粗い感触がひとつひとつ浮んで来て、彼の肌に触れてはまた沈み、そして段々に全身が彼にむかってひとつの表情を帯びはじめた。~~。
そのあと、二人は初めて毛布の下に温みをひとつに集めて、まるめた軀を寄せ合ってまどろんだ。

わかるかい!もっと官能的に書かんかいっ!思わずツッコんじゃいそうですが、それでも、凄い作家だなあ、と感心させられちゃいますね。
川端康成も美しい文章を書くけど、この人の文体にも、つくづく魅了されます。

(北代靖典)

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