村上春樹著「職業としての小説家」(スイッチ・パブリッシング) 2015/9/28 第3刷発行

2016年4月11日

haruki_murakami今や国際的に活躍している村上春樹がいったいどんなことを書いているのか。興味深く読みました。

全部で12話。タイトルは以下。

  • 「小説家は寛容な人種なのか」
  • 「小説家になった頃」
  • 「文学賞について」
  • 「オリジナリティーについて」
  • 「さて、何を書けばいいのか?」
  • 「時間を味方につける――長編小説を書くこと」
  • 「どこまでも個人的でフィジカルな営み」
  • 「学校について」
  • 「どんな人物を登場させようか?」
  • 「誰のために書くのか?」
  • 「海外へ出て行く。新しいフロンティア」
  • 「物語のあるところ・河合集雄先生の思い出」

著者が「群像」の新人賞を取り、作家としてデビューしたのは30歳の時です。
「小説というジャンルは、誰でも気が向けば簡単に参入できるプロレス・リングのようなものです。~~しかしリングに上がるのは簡単でも、そこに長く留まり続けるのは簡単ではありません」

子どもの頃何かの本で読んだ富士山見物に出かけた二人の男の話を例に上げ、こうも書いています。

【頭の良い方の男は富士山を麓のいくつかの角度から見ただけで、「ああ、富士山というのはこういうものなんだ。なるほど、こういうところが素晴らしいんだ」と納得してそのまま帰って行きます。とても効率がいい。話が早い。ところがあまり頭の良くない方の男は、そんなに簡単には富士山を理解できませんから、一人であとに残って、実際に自分の足で頂上まで登ってみます。そうするには時間もかかるし、手間もかかります。体力を消耗して、へとへとになります。そしてその末にようやく「そうか、これが富士山というものなのか」と思います。理解するというか、いちおう腑に落ちます。
 小説家という種族は(少なくともその大半は)どちらかと言えば後者の、つまり、こういってはなんですが、頭のあまり良くない男の側に属しています。(以下略)】

作家デビュー後、しばらくは随分と批判を浴びたようです。「この程度の作品なら俺でも書ける」みたいなことも多々言われたそうです。もうひとつ、これは意外だったんですが、長編小説は締切に追われて書いたものは一作もなく、とにかく、納得がいくまで書き直すというスタイルをずっと続けていることです。「もう少し時間があればもっとうまく書けたんだけどね」という作家のセリフを引き合いに出し、「僕は惜しみなく時間をかける」と言っています。
【「これ完璧に書けているよ。書き直す必要なんてない」と思ったとしても、黙って机に向かい、とにかく書き直します。なぜならある文章が「完璧に書けている」なんてことは、実際にはあり得ないのですから。】

だから何回も何回も書き直すそうです。推敲に推敲を重ね、そして作品が生まれているということですね。

オリジナリティーについては、こんなふうに綴っています。

「人々の心の壁に新しい窓を開け、そこに新鮮な空気を吹き込んでみたい。それが小説を書きながら常に僕の考えていることであり、希望していることです。理屈なんか抜きで、ただただ単純に。」

また、こんなメッセージも。
「小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず本をたくさん読むことでしょう。~~優れた小説も、それほど優れていない小説も、あるいはろくでもない小説だって(ぜんぜん)かまいません。とにかくどしどし片端から読んでいくこと。」

本作はエッセイですが、村上春樹の姿勢が如実に表れていて、彼のファンはもちろんですが、小説を書こうとする方にもすごく参考になると思いましたね。
(北代靖典)

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