村上龍著『テニスボーイの憂鬱 上・下』(集英社文庫)

2017年6月26日

tennis-boy村上龍の小説は、時々再読しています。『KYOKO』やら『ラッフルズホテル』やら『インザ・ミソスープ』『イビサ』やら、いまいちの作品もありますが、ほとんどが傑作だと思っています(ファンなので…)。

中でも、『テニスボーイの憂鬱』は、最高傑作だと思う。第一章の書き出しからして、普通じゃない。

テニスボーイは犬の吠え声で目が覚めた。全身に酒が残っている。昨日の夜はスーパーマーケットのカメラ売場の女店員と飲んだ。女はモルタル塗りのアパートに一人で住んでいて、送っていったついでに一発やろうとしたが二人とも喋れないほど酔ってしまって女はすりきれた絨毯の上にゲロゲロ戻しおまけにグチャグチャの汚物にコンタクトを落としたと叫んだので、やる気がまったくなくなったのだった。その後テニスボーイは自宅の傍の自動販売機でオロナミンCと、「フェラチオ少女売淫」という写真集を買い、破裂しそうな頭でオナニーしようとしたが、フェラチオ少女の乳首がまるで小さなナスのようにひょろ長くて垂れ下がっているのが気持ち悪くなり吐きそうになって、そのまま寝たのだった。

ゲロゲロもグチャグチャも、村上龍の文体と化しているところが凄い。テニスボーイが主人公で、20年ほど前に書かれた傑作恋愛小説です。村上氏の電子本製作所には「家族や、ステーキ屋の経営より、日々のテニスに魅せられている地主の一人息子、青木。だが、ある日、モデル・吉野愛子に出会い、恋に落ちて、余剰の塊のようなセックスと、不足の象徴のような愛の渇きを体験する。やがて吉野愛子は去って行き、喪失感のまっただ中で、次の女が現れる…。
シャンパンのバブル(泡)が、80年代末期からのバブルを予兆する長編ラブストーリー。」と紹介されています。上下巻ですけど、読み応えがあって、読み出すと止まらなくなる魅力に満ちています。

「私は、この主人公の非決定にもとずく無重力状態のゆえに、様々な主人公が日常生活のモラルという軛を脱して漂うがごとく近づいたり遠ざかったりする状態が好きである。一人ひとりの人物がまるで妖精譚の中の登場人物のごとく、己の生き方の持つ回路に従って振舞っている。お互いに他の登場人物の回路に不必要に介入せず、その都度、他の人物が必要とするものを提供し合っている。それがテニスであったり性であったり、商売であったり、愛であったり、子供であったり、エロ話であったり、スノビッシュなホテルであったりしても殆ど変わりない。作品の必要とする無重力空間の中で、人も物も、殆どアニミズムの世界の中におけるように共生している。従って、人と人との出会いや別れがあっても、それらは劇的な物語りにはならない。」(山口昌男の解説から)

テニスボーイと吉野愛子がいくら性交渉を重ねても、相手のアイデンティティを丸ごと所存しようという話にはならない、とも言っています。

結局、「憂鬱」の正体とは何なのか?
下巻の終わり近くで、吉野愛子の次の愛人、本井可奈子の妊娠がわかる。
「愛人が妊娠する、それは不幸ではなく、辛くも悲しくもない。ただ、憂鬱なだけだ。(中略)
二人はその後セックスを再開し、テニスボーイは初めて本井可奈子の中に射精した。射精は、憂鬱になるほど長く続いた。」

物語の最後は、夕立ちの話で終わる。
「夕立が降ったら、テニスはできないな、と、そう思った。」
(北代靖典)

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