2019年1月15日
モダン・ホラーの巨匠が苦闘時代からベストセラー作家となるまで自らの人生を振り返って綴った自伝的な「文章読本」です。そう、スティーヴン・キングです。彼の著作はそんなに多く読んでいませんが、映画はけっこう観ています。
『キャリー』『呪われた町』『IT』『ミザリー』『シャイニング』、さらに『スタンド・バイ・ミー』『グリーン・マイル』『ショーシャンクの空に』など、映画はどれもこれも傑作と言っていいでしょう。いや、原作が優れているから、映画もおもしろいのでしょう。
本書の構成は以下。
・履歴書
・道具箱
・書くことについて
・生きることについて
・閉じたドア、開いたドア
「履歴書」は、キングの半生の回顧録。例えば、デビュー作の『キャリー』がどのように誕生したのか、他の作品の誕生秘話だとか、家族のこととか、彼の小説家になる原点が記されています。作家を目指しながら、洗濯工場で働き、トレーラーハウスで暮らしていたこと、ドラッグとアルコール漬けの生活を送っていたことなど、大小説家も随分と苦労を重ねていたのがわかります。
これら前半部分は文章作法とは関係ありませんが、後半になると、どんな点に注意して文章を書くべきかなど、基本的なスキルの数々が開示されています。
S・キングの文章は読みやすいですが、なぜ読みやすいのか…?
例えば、副詞の使い方に触れたところ――。
「そこへ置いて!」と、彼女は居丈高に叫んだ。「かえしてくれよ」と、彼女は卑屈に懇願した。「おれのじゃないか」「冗談じゃないわ、ジェキル」と、アタースンは横柄に言い放った。
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「そこへ置いて!」と、彼女は叫んだ。「かえしてくれよ」と、彼女は懇願した。「おれのじゃないか」「冗談じゃないわ、ジェキル」と、アタースンは言い放った。
「元の文章に比べて、(副詞が入ると)あきらかに間の抜けた感じがする。理由は一目瞭然だろう。あまりにも陳腐であり、笑止千万としか言いようがない副詞のせいだ。」
確かに「居丈高に」も、「卑屈に」も、「横柄に」も、削除したほうがすっきりしますね。つまり、「語彙の乏しさを恥じて、いたずらに言葉を飾ろうとしてはだめ」ということです。
また、作家になるためには、基本的には「たくさん読んで、たくさん書く」ことだと言っています。その通りでしょう。
最も驚いたのは、彼はプロットに重きを置いていないという点。あまたの作品がほぼプロットなし(状況設定はあるけど)だそうです。これにはビックリです。
【プロットに重きを置かない理由はふたつある。第一に、そもそも人生に筋書きなどないから、どんなに合理的な予防措置を講じても、どんなに周到な計画を立てても、そうは問屋がおろしてくれない。第二に、プロットを練るのと、ストーリーが自然に生まれでるのは、相矛盾することだから。この点はよくよく念を押しておかなければならない。】
【プロットは優れた作家の最後の手段であり、凡庸な作家の最初のよりどころだ。プロット頼みの作品には作為的で、わざとらしい感じがかならず付きまとっている。】
【最初に状況設定がある。そのあとにまだなんの個性も陰影も持たない人物が登場する。心のなかでこういった設定がすむと、叙述にとりかかる。結末を想定している場合もあるが、作中人物を自分の思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。予想どおりの結果になることもあるが、そうでない場合も少なくない。】
天才小説家S・キングだから、できるのかもしれませんが、なるほどと感心させられました。
それと、書くことと生きることはオーバーラップし、キングは「私は書くために生まれてきたのだ。」と語っています。
【(ものを書くのは)一言でいうなら、読む者の人生を豊かにし、同時に書く者の人生も豊かにするためだ。立ちあがり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ。おわかりいただけるだろうか。幸せになるためなのだ。】
「閉じたドア、開いたドア」では、『ホテル・ストーリー』と題する短編の冒頭部分の一次稿と、手直しした二次稿が掲載されています。しかも、なぜ手直ししたのか、若干の説明も盛り込まれているので、これは参考になるでしょう。
なお、巻末には、2001年から2009年にかけて、著者が読んだ本のベスト80冊が掲載されています。スティーヴィン・キングは1947年9月21日生まれ、71歳です。長生きして欲しいものですね。(北代)
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