2019年10月2日
東野圭吾著「どちらかが彼女を殺した」(講談社文庫)
東野圭吾原作の映画は、ほとんど観てます。小説はたくさん読んだわけじゃないけれども、どれもこれも、レベルが高いですね。文章も読みやすく、というか、ミステリー小説で読みにくい文章は売れないでしょう。読者は物語を読みたいわけですから、純文学のような凝った文章では嫌になってしまいます。
鋭いタイトルです。それからわかるように、本作は容疑者が二人。タイトル通り、どちらかが彼女を殺害したのです。いったいどちらが?
最愛の妹が偽装を施され殺害された。愛知県警豊橋署に勤務する兄・和泉康正は独自の〝現場検証〟の結果、容疑者を二人に絞り込む。一人は妹の親友。もう一人は、かつての恋人。妹の復讐に燃え真犯人に肉迫する兄。その前に立ちはだかる練馬署の加賀刑事。殺したのは男か? 女か? 究極の「推理」小説。
【「BOOK」データベースより】
殺害されたのは、警察署の交通課に勤務する兄の妹。彼女を誰が殺したのか。真犯人に肉迫する兄の前に立ちはだかるのが、加賀刑事です。
書き出しはこんな感じ。
二枚目の便箋の、半分あたりまで書いたところで誤字をした。なんとかうまくごまかせないものかと字をなぞってみたが、却って汚くなってしまった。和泉園子は顔をしかめて破りとり、くしゃくしゃと丸めて屑籠にほうりこんだ。
書き直す前に、もう一度一枚目を読み直した。その出来映えは、納得するにはほど遠いものだった。彼女はその一枚も破り、やはり丸めて投げつけた。今度は屑籠に入らず、壁で一度バウンドしてカーペットの上に落ちた。
最初に登場するのは、和泉園子。殺される女性です。読み進めるうちに、便箋に何を書いていたのかも、明るみになります。
簡単に物語の内容を紹介しておきましょう。
名古屋に住む和泉康正(警察署の交通課勤務)は、東京に住む唯一の肉親である妹、園子から電話をもらいます。電話の内容から、信じていた相手に裏切られとてもショックを受けていたのがわかります。
康正は名古屋に帰ってくることを勧めますが、彼女が帰ってくることはなかった。嫌な予感がした康正は数日後、園子の住むマンションへ。インターホンを押しても応答がないため、合鍵で中に入ります。以前に合鍵を預かっていたのです。すると、そこに園子の死体があったのです。
園子の身体には胸と背中にコードがつけられていました。時間が来ると自動的に電気が流れ、ショック死するような仕掛けが施されていました。
園子、と小さく呼びかけてみた。しかし反応はなかった。
死んでいるのは間違いなかった。康正は仕事柄、一般人よりもはるかに大勢の死体を見てきている。肌の色や張りなどを見ただけでも、生体反応があるかどうかは判断できた。
園子は胸まで毛布をかぶっていた。康正は細かい模様のついた毛布を、そっとめくってみた。ここで彼はもう一度息を飲んだ。
タイマースイッチが彼女の身体の脇に置いてあった。~~~パジャマをめくることまではしなかったが、二本のコードがどのように使われているのかは、彼にはわかっていた。一方の端が胸に、もう一方の端が背中に付けられているのだろう。時刻がくれば電流が心臓を通過し、ショック死するという仕掛けだ。(本文から)
自殺なのか? 他殺なのか?
部屋の状況から園子が誰かと一緒にいたことが窺え、康正は他殺だと確信します。ただ、警察には報告せず、自ら復讐を果たすため、証拠品を持ち帰り、捜査をかく乱するのです。
この内容だけでも、興味深いですが、園子を裏切った相手が二人いたこともわかってきます。元恋人の佃潤一と親友の弓場佳世子―-。園子と潤一は元々付き合っていましたが、園子の紹介をきっかけに、潤一は佳世子に乗り換えたのです。
園子からすれば、二人に裏切られたことになります。佳世子は親友でありながら、恋人を奪ったわけですし、潤一は園子の親友だとわかっていて佳世子と肉体関係を持つのですから。まあ、現実にはこういうトラブルは起こりえますよね。殺人事件に発展することは少ないと思いますけど……。
本文にも、こうあります。
そうした三角関係にあったからといって、弓場佳世子もしくは佃潤一が、園子を殺す必要があるだろうか。
潤一と園子が結婚していたのなら、まだ話がわかる。だが単なる恋人同士にすぎなかった。潤一が園子よりも弓場佳世子のことが好きになったのなら、園子のことは振って、佳世子と結婚すれがいいだけのことだ。
ただ、この事件の犯行動機は、ある秘密を園子にバラされそうになったからでした。秘密とは、かつて佳世子がアダルトビデオに出演していたこと。それを知った園子は、二人の仲を裂くためにその事実を潤一の両親にバラすと脅していたのです。
「僕が園子さんに別れ話を持ち出した時、園子さんは僕に佳世子さんの過去を話し、あんな女はあなたにふさわしくない、というようなことをいいました」潤一がうつむいたままでいった。「それで僕も驚いたんですが、過去は過去だと思い、ふっきることにしたんです。そうしたら園子さんは、もし彼女と結婚したら、僕の両親にビデオを送るといいだして……世間にも公表すると」
確かに犯行の動機にはなりますね。しかし、園子は途中で思いとどまります。それが園子の手紙から読み取れます。書き出しの手紙がそれですけど。
二人のうち『どちらかが彼女を殺した』のです。それは間違いない。
では、どちらが?
推理が進み、犯人は二人に絞られるのですが、ついに名前が明かされず小説は終わってしまいます。つまり、犯人探しは読者に委ねられ、読者は提示された数々の証拠から推理することに。はあ、なんだそれ? でも、この展開は、おもしろいでしょう。よく吟味して読まないと、どちらが犯人か、わかりません。
というのも、文庫化に当たって犯人特定の重要なワードが削除され、推理の難易度がグッと高くなっているのです。なんともまあ、ややこしい。ただ、読者のために『推理の手引き』という袋綴じ解説が用意されています。
ちょっとばかり抜粋しておきましょう。
【この作品は、あえて犯人の名を書かずに、推理の決め手を読者に考えさせるという、他に類を見ない仕掛けの本格ミステリー。】
【実はこの文庫版には親本からカットされた箇所が一つあり、そのためにぐっと難易度が増しているのだ。「佳世子は少し逡巡したようだが、最後には決心した。袋を破り」となっているが、親本の「〇手で」がカットされたのだ。】(推理の手引きから)
睡眠薬の袋をどっちの手で破ったかで犯人がわかるんだけれども、わざわざ削除。まあ、それでも、じっくり読めば、犯人を推理できるようになってはいますが。
で、加賀刑事が注目したのは、利き手です。睡眠薬の袋の破り方で利き手がわかるわけですね。右利きか、左利きか。コーヒーを飲むシーンやら料理を食べるシーンなどで、利き手がどっちかはわかる。園子は鉛筆や箸は右手で持ち、それ以外はすべて右利き。潤一は右利き。佳世子は不明(親本には書かれています)。
細かい内容は割愛しますが、正直、推理の手引きがないと、この謎解きは難しいでしょう。
どんどん先を読みたくなり、読み応えがありました!
(北代)